火葬に立ち会ったことで感じたこと:ある家族の記録

「最期まで、家族として見送りたい」──そう願って、私たち家族は火葬に立ち会うことを選びました。17年間、共に暮らした愛犬「モモ」とのお別れは、想像していたよりもずっと静かで、そして深いものとなりました。この記事では、ペットの火葬に立ち会ったときの心の動きや、見送ることで得た気づきを、一つの記録としてお伝えします。

モモの旅立ちと、火葬を選んだ理由

モモは小型の柴犬で、我が家に来たときはまだ生後3か月。やんちゃで、でも人懐っこくて、私たち家族の“空気”のような存在になっていました。17歳という高齢を迎えたある日、静かに眠るように旅立ちました。

最初は市の一般回収サービスを利用しようとも考えましたが、「モモにそれはしたくない」という思いが強くなり、個別火葬に立ち会える葬儀社を選びました

火葬場での最後のお別れ

火葬場は郊外にある静かな施設でした。葬儀社のスタッフの方は丁寧で、どんなに小さなことにも気を配ってくれました。

火葬炉の前で、モモに声をかけ、最後に花を手向けました。「ありがとう」「またね」と、家族一人ひとりが言葉をかけることで、気持ちが少しずつ整理されていく感覚がありました。

火葬が始まり、扉が閉まる瞬間には、涙が自然とあふれました。けれど不思議と、それは悲しみだけでなく、温かさと感謝の入り混じった涙でもありました。

収骨という“最後のふれあい”

火葬の後、骨壷に納める収骨の時間がやってきました。小さくなったモモの骨を見て、「本当に旅立ったんだ」と実感しました。

スタッフの方が、「しっぽの骨はやさしい曲線になっていることが多いんですよ」と教えてくれ、その言葉に胸が熱くなりました。

私たちは、肉体としてのモモに別れを告げながらも、魂はきっとまだそばにいると感じていました。収骨という行為は、「お別れ」ではなく「ありがとうを伝える時間」だったように思います。

火葬に立ち会って本当に良かったと思う理由

  • ちゃんと「さようなら」を言えた
  • ペットを“モノ”として扱わず、家族として見送れた
  • 他の家族とも想いを共有でき、癒し合えた
  • その後の心の整理がしやすかった

もし立ち会わずに手続きだけで済ませていたら、「本当にこれでよかったのか」と悔いが残っていたかもしれません。

まとめ:見送ることの意味

火葬に立ち会うという選択は、決して義務ではありません。でも、「ちゃんとありがとうを伝えたい」「一緒にいてくれてよかった」と心から思うなら、立ち会う価値は必ずあります

モモがいなくなってしまった寂しさは消えませんが、それでも、しっかり見送れたことが心の支えになっています。

ペットとのお別れは、人生の中でも特別な時間。その最期をどう過ごすかは、飼い主の愛のかたちそのものだと、今では感じています。

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