ペットの葬儀体験談

私と暮らした家族のウサギ

わたしは今は一人で暮らしてますが、この文章に関わるペットとの出会いは、一番下の娘がまだ高校性の時にチンチラを飼っており、とても懐いていたのですが、ちょうど引越しが重なり、体調を崩しているのがわかりながらなかなか病院に連れていくことができず、ある程度引越しの荷物が落ち着いたところで様子をうかがうと、ぐったりしていたため急いで病院に連れて行きましたが、かなりの衰弱のため命を落としてしまいました。

そのチンチラは4年ほどの家族でしたが、娘と泣きながら動物霊園に行ったことを覚えています。

今回はそのあとに、もうペットは飼わないと決めていながらも、娘とペットショップに行き、その時に出会ったロップイヤーにウサギの赤ちゃんでした。

掌に入るほどの大きさでとても人懐っこく、じっとみていると、ほぼ衝動買いのような状態でうちにやってきた家族でした。

初めてのウサギに戸惑いながらも前回のチンチラの二の前は踏まないように、体調管理には常に気を使い育てていきました。

とても賢い子で取れも覚え、おもちゃも持ってきてくれるような可愛い男の子でした。

それから月日はどんどん過ぎていき、10年が過ぎ娘にも子供ができ、わたしとウサギとのふたり暮らしが続いていました。

ウサギも10歳になり、人間でいうと90歳ということでしたが、それまでにも特に大きな病気もせず元気に育ってくれていました。

ただだっこが嫌いなため爪切りができずに定期的に病院には行っていました。

それがかえってよかったのか病院の先生も体のことをよく知ってくれており、相談しやすかったです。

9歳くらいから高齢なため寝ていることが多く、排せつもあちこちにするので、大きめのケージにして自由に歩き回れるよう段差に階段もつけ骨折にもきをつけていました。

10歳になったころ消化不良から食欲がなく排便が無くなったので病院に連れていき、消化薬と点滴を受けて帰ってきました。

少し脱水があったのでもし連れてこれるなら3日ほど続けてきてといわれましたが、立つのもやっとだったのでそのまま延命することをやめ、ベッドの横で添い寝しそのまま息を引き取りました。

危篤状態が続いていたので葬儀屋さんに連絡を前もってしていたので、もしかしたら聞こえていたのかもと思うとかわいそうなことをしたと思います。

その日夜勤があったので、娘が止まることになっていましたが、娘が帰った10分ほどの間に 私の手の中で逝ってくれたので、寂しいですが最期は隣にいてあげられたことはとてもよかったと思います。

ペットはしゃべれないので人間が常に様子を観察してあげないと、わざと元気なふりをして体調を隠します。

しっかり見てあげてほしいと思います。

36歳女性、亡くなった飼い犬を自宅前で個別火葬

去年天国へ行った芝犬との出会いは、地元の警察署でした。

その日は地元のお祭りで、私は財布をすられてしまい、警察に届けを出しに行きました。

すると、駐車場の端につながれた芝犬がいました。

動き回ることもなく、じっと伏せているその子が気になったので、警察の人に聞くと、数日前に保護されたが、名乗り出る飼い主もいないので明日保健所へ連れて行くと聞きました。

これは何かの運命だと思い、私は次の日その芝犬を迎えに行きました。

これがププとの出会いです。

引き取った後すぐに動物病院に連れて行きました。

人間でいうと30代半ばで、出産の経験があることが分かったのと、フィラリアが陽性で、血管内に大量に確認できました。

あとは軽い皮膚炎でした。

きっとちゃんと飼育されてなかったんだと思います。

ププはとてもおとなしい犬でした。

でも人に対して甘えることはあまりありませんでした。

撫でてあげるとひっくり返ってお腹を見せてくれたり、餌をやるときや散歩へ行くとき以外は自分から寄ってくることもなかったです。

あと1つ気になったのは、ほとんど目を合わせてくれませんでした。

どんな飼われ方をしていたのだろうと心が苦しくなりました。

それでもそっけない態度や、たまに構って~とアピールしてくるところや、本当に本当に大好きでした。

年老いて行くに従って、皮膚炎が悪化してきました。

痒みと抜け毛、時にはただれることもありました。

色々薬は使いましたが劇的に良くなることはなく。

少しでも力になれたらと思い、これまでのドッグフードはやめて、アレルギー用ドッグフードを少しと、米、野菜、魚を中心に食事を大幅に変えました。

それからは少しずつ皮膚炎も改善して、元気に散歩もしていました。

それでも体の中のフィラリアが消えることはありませんでした。

ある日帰宅すると、ププは小屋から体を半分出した状態で、泡を吹きながら痙攣していました。

昨日までいっぱい手作りのご飯も食べて元気に散歩も行っていました。

急いで病院に連れて行きましたが、もう為すすべはなく。

家に連れて帰って片時も離れませんでした。

意識もほとんどなく自分で体を動かせなかったので定期的に体の向きを変え、シリンジで水をあげ、足をマッサージし、考えれる事は全てしました。

痙攣を起こしてから2日後、苦しむこともなく、眠るように息を引き取りました。

ありがとう、ありがとう、と何度も声をかけました。

同じくらい、ごめんね、とも言いました。

そして私の住む地域の動物の火葬は、合同火葬で、火葬後は共同墓地に入らなければなりませんでした。

犬であろうと他の動物を嫌っていたププでしたので、それは受け入れれませんでした。

そこでネットで調べると、火葬できる装置のついた車で自宅まで来てくれて葬儀を行ってくれる業者さんを見つけました。

早速依頼しました。

とても丁寧に対応してくれました。

般若心経を唱えてくださり、お花も備えてくださり、ご焼香もしました。

大きなハイエースの中に立派な火葬装置があり、自宅は田舎で周辺に家もあまりなかったので、自宅前の静かなところで火葬していただきました。

火葬中は車の上から多少煙は出ましたが気になるような匂いもなく、空に向かって登って行く煙を見ながら、大好きだったププを思い出すことができました。

火葬後は家族みんなで骨揚げもして、綺麗な骨壷に入れてくれ、今でもずっと家族と一緒にいます。

35歳男性、ペット霊園にて最後のお別れ

現在フリーランスとして活動している35歳男性です。

無くなったのはヨークシャーテリアで18歳でした。

実家で飼っており、よく散歩にも連れていき、私が帰ってくると喜んでいつもタックルをしてきました。

暴れまわると手がつけられなくなりそれがまた可愛いんですよね。

そもそもの出会いは家に帰るといきなり彼はいました。(名前はこてつくんです。)母に話を聞くといきなり父がなんの相談もなく買ってきたそうです。

父はあまりしゃべる性格ではなく、買ってきた真相は未だによくわかりません。

(ただ欲しかっただけだと思います)昔からなぜか私にとてもなついていました。

一番印象に残っているのは、私の家のベランダから花火が見えるのですが、いつも花火大会の日はこてつくんも一緒味見ていました。

そのときかなり小刻みにブルブル震えるのです。

怖いんでしょうね。

抱っこしても常にブルブル。

これがまた可愛かったです。

夏の風物詩みたいになっていました。

死んでしまったのは本当に急でした。

3日くらいご飯を食べなくて、心配になって病院に連れて行くと心臓の血管が肥大していて今にも危ないということ。

長くないと言われてくすりをもらました。

でもとりあえず早く気づいて連れてきて良かったと言われました。

大丈夫かなと思い薬を飲ませてその当日は寝ましたが、次の日も元気はなく、いよいよ動かなくなって静かに目を閉じました。

苦しむ様子はなく寝るように死んでいきました。

とても悲しかったです。

私は愛媛県に住んでいるのですが、近くにペット霊園があるという情報を聞いて、両親と一緒に供養をしに行きました。

どんなところなんだろうと思っていましたが、意外と大きく本当に人間と同じように墓があり、花とかも綺麗に手入れされていました。

人間と同じように納骨をして骨は持って帰りました。

お経もしっかり読んでもらいました。

ちゃんと供養できたかな?しっかり天国に行ってくれることを祈っています。

こてつくん一生忘れないよ!

41歳男性、愛犬が安らかに眠って貰うためにお葬式を挙げました

私は今、現在41歳の会社員なのですが以前に犬を一匹飼っていました。

元々はその犬との出会いは近所の人から貰ったものでした。

その近所の人が犬をたくさん飼っており、いつも散歩しているところを私と遭遇し、そしていつのまにか仲良くなり、そして犬をその中から一匹貰うことにしたのでした。

本来、私は正直犬や猫といった動物は苦手な方だったのですが、毎日その犬たちと出会っているうちに好きになっていた自分がいました。

ですので、私も是非一匹飼ってみたいと思うようになり譲り受けたのでした。

そして、それからは毎日私も犬との生活が始まり楽しく幸せに過ごすことが出来ました。

飼い始めた最初のころはなかなか上手にいくことが出来ませんでしたが、日を追うごとに徐々になれていき私も一人の犬を飼う人間へと変わっていきました。

食事にしてもただ餌をあげるのではなく、犬の健康管理なども考えて用意するようになっていったのでした。

また、散歩にしてもただ連れていくのではなく犬の気分も考慮して、時には普段は行かないような散歩道や場所に行きリフレッシュさせたりもしていました。

また、その為犬も喜んでくれていたのか尻尾を振ってよく遊んでくれました。

また、ある時には車に乗せて山や海へとドライブに連れていくこともありました。

犬にとっては山や海などは私よりも新鮮に感じるみたいでとても楽しみながらも緊張している様子が伺えたりもしました。

ですので、そんな時には言葉さえ解りませんが私がその緊張などをほぐすためにわざと気をまぎらわすようなことをしたりもしました。

そして、そんな日がついに終わってしまったのでした。

私の犬は最後は病気にこそなりませんでしたが、最後は年を取り老衰として死んでしまったのでした。

私は悲しくてしかたありませんでした。

ですので、私にとっては家族のようなものだったのでお葬式をあげようと思い挙げたのです。

安らかに眠って欲しいと願い供養したのでした。

本当に寂しい悲しい出来事でした。

16年一緒にくらした愛犬の遺骨をドッグウッドクラブにあずけた

わたしは16年一緒に暮らした犬を去年の12月に無くしました。

老犬でしたが、食欲も旺盛で、まさかこんなにも早く天国に旅立つとは思っていませんでした。

出会いは地元のペットショップで、母親が飼いたいと提案し、うちに迎え入れることになりました。

最初はペットの保険に加入していたのですが、特に持病もないと思い、保険を外して1年後、アトピーだということがわかり、めちゃめちゃ医療費のかかる犬と化していきました。

けど、体は丈夫で、いろんなトラブルがありましたが、強く強く生きていました。

そんな彼を見ていると、まさか死ぬなんて思えず、死ぬ1ヶ月前もいつもと変わらず元気でした。

ちょうどその時期に引っ越しの予定が立ち、今思うと彼に構うことが難しくなってしまっていました。

死ぬ1週間前あたりから、無駄吠えが多くなり、呼吸が浅いなと感じることが多くなりました。

今ネットで調べるとそれは死期の近い患者に訪れる症状らしく、当時の自分は気づけず、「どうしたのー?なんで吠えるの?」と疑問に思っていました。

そして死ぬ2日前から呼吸がより浅くなり、苦しいのか一晩中吠えることが多くなり、私達も何かしてあげないとと、薬局中の酸素ボンベを買いあさったり、タンの吸引機を買って試してみたりしました。

病院にも連れて行きましたが、老衰ですので、もうできることはありませんと言われてしまい、愛犬は天国に旅立ちました。

正直亡くなる前2日は、犬の苦しんでる姿を見て、楽にさせてあげたいという気持ちがかなり強かったです。

頑張って息している姿を見ていて、生きて欲しいけど、首や肩の筋肉が硬くなるほど頑張って呼吸していると、楽になって欲しいって思ってしまいます。

死を迎えた時は、私はその場にいなかったのですが、帰宅して、眠ってる姿を確認した時は、「頑張ったね。お疲れ様。

」という言葉しか出ませんでした。

また、火葬までの3日間もとても辛かったです。

愛犬の温もりや匂いを忘れてしまうんだと思うと、今できることは何かなって考えてしまって、足型をとったり、尻尾や耳の毛を切ってとっておいたり、めいいっぱい愛犬の匂いを嗅ぎました。

正直、後悔は言ってもキリがないですが、火葬までの3日間で思い残すことのないよう色々やりきりました。

火葬場は動物病院から紹介してもらった稲田堤にあるドッグウッドクラブで行いました。

施設も綺麗で、最期を迎える場としてとてもよかったです。

自宅に遺骨を置こうかと思いましたが、ドッグウッドクラブでは遺骨を預かってくださるので、そちらにお願いしました。

そういう場があって、ちゃんと愛犬ともお別れできましたし、お墓まいりとして会いに行くこともできるので、自分が前に進む意味でも、とてもいい環境だと思います。

61歳女 地元のペット霊園 お骨を持ち帰ってきて良かったのかな?

我が家のミニチュア・シュナウザーは、幼かった子供達にせがまれて飼った仔でした。

子育てと共に生きて、15歳でしたが、もう少し長く生きれたのかもしれません。

大晦日の深夜は、近くの商業施設でカウントダウンをして新年を迎えるのが家族の恒例で大晦日の深夜いつも通りに車で出かけました。

犬は、お留守番でケージに入れないでホットカーペットを通電して出かけました。

ホットカーペットは防水機能付きでカバーもかけてあり、電灯も付けって危なくないようにして出かけました。

カウントダウンをして楽しい気分で帰って来たら、犬はテレビ台のガラス戸に首を挟まれて横たわっていました。

子供達が小さい時はガラス戸にチャイルドロックをしていましたが子供も大きくなり外していました。

まさかこんな風に首が挟まってしまうなんて思ってもいませんでした。

いつもなら家族がいる時間にいなかったから家中を探し回ったのかも知れません。

涙で前が見えませんでした。

お正月気分は吹っ飛び一晩中、犬をマッサージしました。

朝方、少し動けるまで回復しました。

お正月に獣医さんはやっていないし、こんな状態なら安楽死を勧められそうで一生懸命マッサージして身体の位置を変え、温めて看病しました。

少しずつ水やご飯も食べれるようなりましたが歩くスピードや反応は極端に遅くなり急に老犬になってしまいました。

そんな状態でも半年程頑張って生きてくれましたが、だんだんと食べてくれなくなり最後は水しか飲めなくなり痩せ細って亡くなってしまいました。

お葬式は、昔からある地元のペット霊園で行いました。

お値段も手頃な霊園は、1年間個別に納骨して自由にお参り出来て、その後、他のワンちゃん達と合葬するというシステムがあるのですが、どうしても手元に置いておきたくて今もお骨は我が家にあります。

子育ての中、共に駆け抜けてきた犬なので、子供と同じでどうしても置いてこれませんでした。

あの時、テレビ台のガラス戸にロックをかけていればもう少し長生きしただろうと悔やまれます。

そして長くウチに置いてある愛犬のお骨を将来どうすれば良いかなと考える事があります。

あの時は気が動転していて置いてこれませんでしたが、最終的に合葬も良いのかもと思う事があります。

なのに愛犬の好物の芋ようかんをお供えしてあげる時はちょっと嬉しかったりします。

愛犬の死と幼いながらの感情を振り返って

私は都内の大学に通う学生です。

私の愛犬についてお話ししたいと思います。

私の家は常に動物に囲まれていました。

それは犬や猫、ハムスターから小鳥まで様々でした。

両親が非常に動物好きというのが大きかったです。

幼かった私にとっては動物と一緒にいるのが当たり前の日常でした。

私が小学1年生の当時、家には年をとった犬1匹と我が家に迎えたばかりの猫1匹がいました。

犬の名をサンと言いました。

サンは私が小学校に通い始めて間もなくの頃に天に旅立ちました。

サンとの出会いは私が生まれた瞬間からでした。

私が生まれる前、犬好きな父がペットショップで一目惚れし母に内緒で家に連れてきたのが最初でした。

そのため、私が物心ついた時からサンはよぼよぼのおじいちゃん犬でした。

動きはとても老犬らしくぎこちなく、またトイレなども決められた場所でするのがどうにも苦手で部屋の真ん中で漏らしてしまうこともたくさんありました。

子供というのは非常に正直で、私はそんなサンをあまり好きになれませんでした。

サンよりも、新しく我が家に来たばっかりの猫の方に愛情を注いでいたように思います。

サンの晩年は、ゲージの中からあまり出ることができないほどに弱ってしまいました。

母はそんなサンの面倒を一生懸命に見ていましたが、ある朝別れは突然来てしまいました。

私がそれに気づいたのは、早朝に母が慌てたような震えたような声で私をリビングに呼んだからです。

駆けつけるとゲージの中には横たわって動かなくなっているサンと深い悲しみに暮れありがとう、ありがとうとサンに語りかけている母の姿がありました。

私も冷たくなっているサンの体をさすりサンとの別れに立ち会いました。

ただ、当時の私には生き物との別れが初めてのことであり、悲しみというより困惑という気持ちの方が強かったように思います。

初めての生命の死と立ち会った瞬間、私にはことの大きさが理解できず今思えばサンにとって冷たい態度をとってしまったかもしれません。

感謝の気持ちを伝えることができなかった、それが後悔として今に残っています。

葬儀は仕事で行くことのできなかった母に変わり、当時別居していた父と私の2人で行いました。

葬儀場に向かうタクシーの中、ダンボールに入ったサンを抱えて窓の遠く先を静かに見ていた父の姿が非常に印象に残っています。

結果的に両親は離婚しましたが、サンは両親2人を繋いでいた架け橋のような存在だったのかもしれません。

サンの骨を2人で2つの骨壷におさめ、父が片方を持って帰りました。

今も父と母のもとでサンは安らかにしています。

その出来事から私は命について学びました。

生き物というのは永遠の存在ではなく死が約束された存在。

いつかは必ずその時が来てしまします。

ペットといえど同じ時を重ねていけば家族のような存在になります。

一瞬一瞬を大事にしてたくさんの愛情を注ぎたくさんの思い出を残してください。

31歳女性 愛犬を亡くし近所のお寺でお葬式を行った

30代の女性です。

中学生の時から実家で16年間飼っていた犬を1年前の冬に亡くしました。

すでに結婚して実家から出ていたものの、住んでる場所から近かったために犬にはしょっちゅう会いに行っていました。

私は一人っ子で両親が共働きでいつも帰りが遅かったため、いつも寂しい思いをしていたこともあり、私が両親にお願いして買ってもらった犬でした。

犬種はパピヨンで、大人になっても小柄で、でもすごくパワフルで、この世で一番かわいい犬です。

犬が来てくれてからは、私にとてもなついてくれて愛してくれて可愛くて仕方なくて、犬とは思わず人間の弟のように扱っていました。

(オスでした)犬が来るまで生き物に対して心から愛おしいという気持ちを持つことがなかったので、自分にこういう気持ちがあるのだと言うことをにびっくりした記憶があります。

2年ほど前から高齢になった関係でやせ細ってしまい、目も白く濁り、食欲が少なくなり、散歩もあまり出なくなってしまいました。

亡くなる数ヶ月前からは認知症も始まってて、耳もあまり聞こえないようで私が呼んでもそばに来てくれる事は無くなりました。

それでも弟は弟なのでただただ老いた姿も可愛かったです。

かなり弱っていたので心のどこかで亡くなる覚悟はしていたのですが、犬が亡くなった際私は妊娠中で、我が子と犬が遊ぶ姿を見るのをいつも夢見ていたので、亡くなったと両親から聞いた時は全く信じられませんでした。

急いで実家に駆けつけると、そこには穏やかな顔をした、でも冷たくて、硬くて、全く動かない弟がいました。

両親はお葬式をしようとすぐ言いましたが、私はとにかく犬と離れたくなくてその日は遺体を抱っこして寝ました。

でもやはり次の日から異臭がしてきました。

お葬式が必要なのはわかってました。

そこで私は現実を受け止めるために、過去に撮った数千枚、数万枚の彼の写真を整理することにしました。

彼が私たちと一緒に楽しく生き抜いたということを確認したかったのかもしれません。

結局、親が予約した近所のお寺でとても丁寧に火葬と骨上げをやってもらいました。

しっかりと儀式をしたことで、心の整理もついた気がしました。

お寺でお墓を建てるのも良いですが、そばに感じたい方はおうちに骨を持って帰ってもいいかもしれません。

我が家では焼いてもらった後骨は持ち帰って、リビングに飾ってます。

実家に帰るたびに「ただいま」と声をかけます。

今でも、玄関まで吠えながら迎えにきてくれるような気がしてます。

60歳男性 雑種犬をベット霊園にお願いし、きちんと対応してもらった

25年前に家を建ててから、ずっと犬を飼っています。

その間、4頭の犬を見送ってきました。

今回はその中で、2番目に見送った「ロッキー」について書いてみます。

ロッキーは私が飼い始めたのではありません。

もともとは家内の実家の母親が、保健所からもらってきた犬でした。

もらってきたときはまだ2週間ぐらいだったようで、義母がスポイトでミルクを与えて何とか持ちこたえ成長していきました。

「ロッキー」という名前は義母が付けました。

当時、私の自宅で飼っていた犬が「アポロ」だったので、それに絡めたものです。

ただ、ロッキーはメスでしたが、義母はよく判らなかったみたいです。

ロッキーが成犬になってしばらくしてから、義母が交通事故で亡くなりました。

そして、一人暮らしとなった義父を私が引き取り、ロッキーもわが家の一員となったのです。

やがて、ロッキーが衰弱していきました。

実家でずっと屋外で買われていたロッキーですが、フィラリアの予防をしていなかったらしく、10歳を過ぎたあたりで症状が出て、あっけなく逝ってしまいました。

ロッキーが亡くなったのは土曜日か日曜日、休日だったと思います。

平日であれば市の斎場に亡骸を持っていくと処分してくれます。

先に見送った「アポロ」はそこでお願いして、我々も満足していました。

でも、それができませんでした。

ちょっと探してみると、自宅から車で20分ほどのところに「ペット葬儀」をしてくれるという場所があるらしく、そこに電話し、お願いすることにしました。

葬儀代は市の斎場とは比べものにならない高額でしたが、やむを得ないと決断しました。

行ってみると、そこはちょっとして林の中にあり、わりと以前から細々と営んでいるような施設でした。

どこにでもいるような、やせ形の中年のおじさんが対応してくれました。

私と家内は、最初は不安でしたが、それなりにきちんと対応してくれて、ロッキーをちゃんと見送ることができました。

今も思い返せば、あの時、ちょっと高かったけど、あそこに連れて行ってやって良かったと思っています。

26歳男、実家にいた時の兎、これからの愛猫

私は今一人暮らしをしている26歳の男性である。

実家を出る前に一度飼っていたペットが天国に行ってしまったことがある。

ワラビーという名前のウサギであった。

種類はアメリカンファジーロップイヤーという毛が非常に長く耳の垂れた子で今まで私が目にしてきたウサギとは全く異なる容姿であった。

確か生後半年くらいに我が家に来た子だったから亡くなった2歳というのはウサギの中でもかなり早死に該当すると思う。

私はその頃ワラビーに対して可愛らしいなという感情くらいしか持ち合わせていなく、死を知った瞬間の時の情景などの記憶を今は思い出すことが出来ない。

母親の意思で飼いだした子だったので母親は家族の中の誰よりもワラビーに対して愛情を持っていただろうと思われる。

夜中ゲージの中で少し暴れまわり力尽きて永遠の眠りに落ちるという過程だったらしい。

葬式は隣の市内にある小さなペット葬儀屋だった。

もちろん来客は私たちの家族しかいなく、空気も非常に重いモノだった。

家族は非常に悲しんでおり、父親と私を除く、母親、弟、妹は焼却前には涙を強く流していたと記憶している。

正直なところ私はワラビーが死んだということにそこまでの悲観的な感情を抱くことが出来なかったのである。

母親はその後ペットロスから鬱症状が出始めてしまい家族間の生活にも色々な歪みが生じ始めた。

家族でペットを飼っている方たちにはよくある事だが子供が大きくなり親の言うこともすんなり無条件で首を縦にふることもなくなり自分の意思を持ち、一人の人間となる。

そこに寂しさ、虚しさを抱えた親がペットを飼い足りない部分を埋めてもらう。

そんなケースの一つだったと今なら理解できて、フリでもよかったから私も悲しむべきだったなと強く後悔しているし、その後、母親を支えるべきだったよなとも感じている。

私は一人暮らしをすると同時に実家から猫を一匹連れてきた。

ミャーさんと言うとても大人しい男の子だ。

声を発する時はいつも不満があるような鳴き声で急いでいる時など少しイラっとするときもあるが決して怒らないと決めている。

もしかしたらミャーさんが亡くなった時、私は涙を流さないのかもしれない。

けど1日1日を大切に丁寧に過ごす事がとても大事な事なんだと言うことをこの記事の作成中に深く感じることになった。

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