ペットの葬儀体験談

57歳 女 ペットを大切に思う人へ ペット霊堂 ホッとしました

私は、猫を飼い始めて14年の主婦です。

2019年4月、猫のお葬式をあげました。

その猫は「健康」な暮らしを送って欲しいと思い、「健康」の「康」からとって、「コウ」ちゃんといいます。

コウちゃんとの出会いは、去年の夏、私が、最重度障害の長男と公園を散歩をしていて、ベンチで休憩を取っていたところ、べンチの下にコウちゃんがいました。

背中の体毛が抜け落ちていて、蟻まみれになっていました。

持っていたおやつをあげたところ、食べます。

我が家にはもう二匹の猫が飼われていたので、配偶者にコウちゃんを連れて行って、なんと言われるかとても心配でしたが、コウちゃんの今後もとても心配でしたので、思い切って連れて帰ることにしました。

案の定、配偶者からは、「捨てて来い。

」と言われましたが、コウちゃんに引っ越した長女の部屋にいてもらうことができました。

私に時間があった2日後に動物病院に連れて行きました。

コウちゃんは猫エイズと猫白血病のダブルキャリアでした。

とても暗い気持ちになりましたが、とにかく、この冬は越せてあげられるようにと飼い始めました。

動物病院は治療費がかかります。

インターフェロン、抗生物質、皮下輸液と毎週のように私には高額な治療費が必要です。

その治療費のために、バイト先をより時給をいただける会社に転職しようとしたり、新しく働き口を見つけ、ダブルワークをしました。

ですが、私は、転職活動やダブルワークに時間をとられ、コウちゃんの体調がとても悪化していたことに気がつきませんでした。

本当に酷い飼い主です。

今年の1月、2月と動物病院に通うことをせず、2ヶ月で1キログラム体重が減っていました。

その後、体調は加速度的に悪化をたどり、インターフェロン、抗生物質、皮下輸液、ステロイドなど、毎日から5日おきに動物病院に通いました。

その間、食欲が落ち、それには強制給餌、目が見えていない様子には目薬、体が不自由になって座ることもできなくなって、水分もシリンジで与えていました。

MRIをとっていないので確かにはわかりませんが、脳腫瘍の疑いということでした。

末期には私がバイトをしている間に癲癇発作を起こし、吐血していました。

その時は、コウちゃんが心配なので、いつもよりは早く帰宅しましたので、なんとか一命をとりとめました。

しかし、癲癇発作はその後も容赦なくコウちゃんを襲いました。

その時は、動物病院で皮下輸液をしていただき、癲癇発作の内服薬と輸液を処方していただき、体温が落ちているので暖めてあげるようにご指導を受け、帰宅後、もうお昼だからと強制給餌をしている時でした。

コウちゃんはいつもよりもスムーズに給餌を受け入れてくれるな、また、給餌をされながら、何かお母さんのおっぱいを飲んでいるかのような甘えた声を出しているな、と思い、私はほっこりしていました。

給餌が終わり、最後、お水を飲ませたところで、いきなり、お水を大きな口をあけて吐き出し、そのままコウちゃんから力が抜けていきました。

すぐに、動物病院に連れて行きましたが、死亡宣告をうけました。

ペットの火葬は、前回と同じところに連絡を取りました。

私は、コウちゃんの体を冷やすのが嫌で、なるべく早く火葬をしていただきたかったので、無理を言って、翌日に火葬をしていただけました。

立会い葬といって、個別に読経をしていただけて、収骨も個別にできるコースを選びました。

バイトと収骨の時間が重なってしまったので、収骨は4日後に伸ばしていただけました。

立会い葬は3万5千円でしたが、2回目ということで、3万円でよいということで3万円を支払いました。

最重度障害の長男の面倒をみながら、1日4回、1回1時間の強制給餌や皮下輸液は大変な日々でしたが、そこで大変と思ってしまう人格であるところが、神様がコウちゃんを連れて行ってしまった所以かもしれないと、コウちゃんに申し訳なさがつきることはありません。

力不足で救いようの無い飼い主です。

27歳男 愛猫をお寺で葬式してもらい、気持ちに区切りがつきました

私は、今の妻がまだ彼女だったとき、結婚を前提に同棲をするという形で一緒に住み始めました。

二人で住める物件を探したのですが、なかなか条件が良いところがなかったのを覚えています。

理由は、彼女の飼っていた猫。

どうしてもペット可の物件は家賃が高く、少しうとましくさえ思っていました。

なんとか物件を見つけ、私と彼女と猫の3人(2人と1匹)で暮らし始めましたが、エサ代やトイレ代もかかるし、ソファで爪はとぐし、怒りを覚えたこともありました。

しかし、いつも可愛い姿で我々の癒しとなってくれた猫は、だんだんと家族の一員となっていきました。

妻と籍を入れ、子供が生まれてからも、我が家の長女として愛猫は振る舞っていました。

しかし、出会って三年ほど経った頃、ある日急にうちの猫は動かなくなってしまいました。

そのとき、うとましく思っていた気持ちや、怒りを覚えていたことなどさえ、かけがえのない大切な思い出だったのだと気づき、妻と二人で一晩中泣き明かしました。

その後、合同の葬式に出してやることにしました。

次々と他の方のペットの名が読み上げられるなか、うちの猫の名が聞こえたときにはまた泣いてしまいました。

はじめは、葬式に出すと悲しみが強くなるのでやめようかとも話していました。

ただ、葬式を終えて妻と二人で話し合ったのは「これで区切りがつけられて良かった。

いつまでも悲しんでいるのは、うちのコも望んでいない」ということ。

そこで、はじめてペットの葬式を行うことの意味がわかった気がしました。

どうしても悲しみのなかで、「お別れ」を決定づけるイベントを行うのはためらわれます。

お金もかかります。

しかし、私は葬式を行って良かったと考えています。

なぜなら、私たち夫婦はあの日を区切りとして、あのコとの思い出をちゃんと「良いもの」として捉えられるようになったからです。

ためらって行動できないでいると、きっと後悔してしまうと思います。

動物好きなあなたのもとに、次の幸せなコがやってこられるように、お葬式という形で区切りをつけてあげてはいかがでしょうか?

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